導入:洋上風力発電の「撤退ドミノ」が示す日本の構造問題

再生可能エネルギーの「切り札」として、国策レベルで推進されてきた日本の洋上風力発電事業が、今、深刻な危機に瀕しています。
その象徴が、大手商社の三菱商事(中部電力などとの企業連合)による事業からの撤退決定です。
さらにその数日前には、主要な建設を担う予定だった鹿島建設の離脱が報じられていました。
三菱商事グループは、国に積み立てた保証金およそ200億円を放棄し、多額の損失(約500億円超)を計上してでも、この計画から手を引くという異例の判断を下しました(出典:TBS NEWS DIG, 2025年8月27日; Diamond Online, 2024年12月)。
この事態は、単に「世界的な資材高騰とインフレ」や「一企業の事業計画性の甘さ」といった表面的な要因だけでは片付けられません。
この「撤退ドミノ」の裏側には、日本政府が設計した競争入札制度と、事業環境整備の遅れという、日本特有の構造的な欠陥が横たわっています。
本稿では、この問題の本質を深く掘り下げ、「安さ」を追求した結果として生じた制度的な歪みと、その中で事業者が負わされた過大なリスク、そして政府の責任について、客観的な事実に基づき考えていきます。
第1章:破格の「超低価格落札」が招いた歪み

1-1. 第1ラウンド入札の現実:価格偏重の評価基準
日本の洋上風力発電事業は、2021年に行われた最初の公募(第1ラウンド)で、すでに大きな歪みを生じさせていました。
三菱商事グループが落札した秋田県沖と千葉県沖の3海域で示された売電価格は、1キロワット時あたり12円〜16.5円という、当時としては破格の安さでした(出典:風力発電に係る公共調達の仕組みに関する一考察, 2022年11月)。
この価格は、他の応札者と比較して圧倒的に低く、結果として三菱商事グループの「3海域総取り」という事態を招きました。
問題は、当時の評価基準が売電価格(価格点)に過度に偏重していた点にあります。
政府は「再生可能エネルギーは高い」という国民の批判をかわし、再エネ賦課金の負担を抑えたいという政策的な動機から、「安さ」を最優先しました。
しかし、この価格偏重の評価基準が、事業の「実現可能性」や「持続性」といった本質的な要素を軽視する結果を招いてしまったのです。
1-2. 欧米と異なる日本の事業環境と実現性の欠如
三菱商事グループが提示した落札価格は、当時コストが下落傾向にあった欧州の洋上風力コスト(約12円/kWh)に近い水準でした(出典:Wind Journal, 2022年3月)。
しかし、ここで見過ごされていたのが、日本と欧米の事業環境の決定的な違いです。
欧米の多くの国では、価格だけでなく、地域産業育成への貢献度、地域共生への配慮、そして最も重要な事業計画の確実性(技術・建設能力)を総合的に評価する仕組みが導入されています。
一方、日本の第1ラウンドは、価格の安さが決定打となり、「天下の三菱商事なら大丈夫だろう」という楽観的な見通しのもと、日本の固有コスト(後述)を考慮に入れた実現可能性の精査が不十分なままに決定された可能性が指摘されています。
結果的に、この「安さありき」の計画は、専門家から「ダンピング(不当廉売)に近い無理筋な計画」であったと後に批判されることになります。
第2章:想定外のコスト高騰と「日本固有のリスク」

2-1. 外的要因:世界的なインフレと建設資材・人件費の高騰
撤退の直接的な引き金となったのは、世界的なコスト高騰です。
ロシアによるウクライナ侵攻やサプライチェーンの混乱、および世界的な金融緩和の終焉に伴うインフレの進行により、鋼材などの建設資材価格や人件費が大幅に上昇しました。
三菱商事の試算では、当初想定していたコストが2倍以上に膨らんだとされています。
この外的要因は、世界中の洋上風力プロジェクトに影響を与えており、実際に欧米でも多くの事業者が事業の中断や契約の見直しを余儀なくされています。
2-2. 構造的要因:日本固有のコストファクターと環境整備の遅れ
しかし、今回の問題の深刻さを際立たせているのは、上記のグローバルな要因に加え、日本独自の制度と環境の不備によるコスト増が複合的に作用した点です。
(1)カボタージュ規制による特殊船(SEP船)の高騰
洋上風力発電の建設には、巨大な風車を洋上で設置するための特殊な作業船(SEP船:Self-Elevating Platform船)が不可欠です。
しかし、日本では、国内航路での輸送や作業を日本船籍に限定するカボタージュ規制が存在します。
これまで洋上工事の需要が少なかった日本では、この特殊な日本船籍の船がわずかしか存在せず、海外の高性能なSEP船を投入しようとすると、この規制の壁に阻まれます。
この結果、日本国内でのSEP船の傭船費が欧州の数倍にも跳ね上がり、建設コストを押し上げる決定的な要因となっています(出典:note, 日本の風力発電コストがバカ高い理由6選, 2022年7月)。
2-2. 構造的要因:日本固有のコストファクターと環境整備の遅れ(続き)
(2)基地港湾の未整備と地理的制約
洋上風車は巨大であり、その建設には、ブレード(羽根)やナセル(発電機部分)などの巨大な部材を一時保管し、組み立て、洋上へ運び出すための大規模な「基地港湾」が不可欠です。
しかし、日本では、必要な地耐力(重さに耐える力)と面積を兼ね備えた港湾の整備が極めて遅れています。
特に第1ラウンドの事業地が集中した秋田県沖では、利用可能な港湾が限られており、工事スケジュールの逼迫と、それに伴うコスト増を招きました。
港湾が未整備なために、効率的な作業ができず、洋上での工期が長期化すれば、先に述べた高額なSEP船の傭船費がさらにかさむという悪循環が生じます(出典:GEPR, 迷走する洋上風力発電競争入札, 2025年4月)。
(3)厳格な国内規制と設計・審査のリードタイム
日本は、欧米とは比べ物にならないほど地震や台風のリスクが高い国です。
このため、洋上風車には厳格な耐震・耐風設計が求められ、これも欧米より割高なコスト要因となります。
さらに、発電設備の導入にあたっては、日本の電力システムに合わせた独自の「使用前自主検査」が必要とされます。
これは、主に昭和時代の火力発電を前提とした手続きであり、慣れない洋上風力発電の審査に時間を要し、事業のリードタイム(着手から運転開始までの期間)を大幅に長期化させ、不確実性を高めています(出典:note, 日本の風力発電コストがバカ高い理由6選, 2022年7月)。
このように、今回の三菱商事の撤退は、単なるグローバルなインフレではなく、「カボタージュ規制」「港湾の未整備」「日本独自の規制と審査」という三重苦の日本固有コストが、安すぎる入札価格を直撃した結果と言えます。
第3章:事業者の「リスク」と政府の「責任」

3-1. 事業者のリスク:見通しの甘さと巨額損失
今回の撤退劇において、落札者である三菱商事グループにも責任の一端があることは否定できません。
- リスク評価の甘さ: 業界関係者からは、国際的なインフレリスクだけでなく、先述の日本固有の制度リスクや建設環境の不備を織り込んだ事業計画ができていなかったのではないか、という指摘があります。将来的な技術革新やコストダウンに過度に楽観的な予測を立てて、「安ければ落札できる」という入札戦略に傾注した結果が、現在の危機を招いた一因と言えるでしょう。
- ペナルティの覚悟: 三菱商事グループは、保証金約200億円を放棄し、多額の損失を計上するという、重いペナルティを払って撤退を選択しました。これは、このまま事業を継続すれば、さらに巨額の損失が発生すると判断した証拠であり、計画の採算性が根底から崩壊していたことを示しています。
3-2. 政府の責任:制度設計と危機管理の不備
しかし、問題の本質は、この事態を引き起こした制度設計と、その後の危機管理を担う政府側にあります。
- 入札制度の不作為(デューデリジェンスの欠如): 政府は、他の応札者を圧倒する超低価格が入札された際、その価格の妥当性や、その価格で事業が技術的に実現可能かどうかを、より厳格に精査する義務がありました。価格点に傾注し、「天下の三菱商事だから」と事業精査(デューデリジェンス)を不十分に終わらせたことは、公共事業の選定プロセスにおける重大な過失と言えます。
- 事業環境整備の放置: 洋上風力発電は、港湾、特殊船、送電網など、巨大なインフラ整備が先行して初めて成立する事業です。政府が「再エネの切り札」と位置づけながら、カボタージュ規制などの制度的な障壁や、基地港湾の整備を迅速に進めなかった結果、事業者が負うべきではない「インフラ・制度リスク」を過度に事業者に押し付けてしまいました。
- エネルギー政策の遅延: 今回の撤退により、第1ラウンドの事業は全面的に仕切り直しとなり、日本の洋上風力発電の導入は数年単位で遅延することが確実視されています。この時間的ロスは、政府が掲げる「2030年度の電源構成目標」達成に黄信号を灯す深刻な事態です(出典:nippon.com, 三菱商事の洋上風力撤退を検証, 2025年9月)。
まとめ:失敗を教訓とした洋上風力政策の抜本的見直し

三菱商事・鹿島建設の相次ぐ撤退は、「安ければ良い」という価格偏重主義が、国策事業を破綻寸前に追い込んだ痛烈な教訓です。
- 「価格」からの脱却:
今後の公募(第2ラウンド以降)では、価格だけでなく、「産業育成への貢献度」「地域共生」「事業の実現確実性(技術力・ファイナンス能力)」を重視する、多角的な評価システムへの抜本的な見直しが不可欠です。
事実、政府は第2ラウンド以降、評価基準を見直していますが、今回の撤退を受け、さらなる制度改正が求められます。
- 政府の最優先課題:
日本の洋上風力市場を立ち直らせるため、政府は直ちに基地港湾の整備を加速し、カボタージュ規制などの制度的障壁を解消する明確な道筋を示す必要があります。
- 持続可能な政策への転換:
今回の失敗は、「安さ」を短絡的に追求し、インフラと制度の整備を怠った結果です。
洋上風力発電を真に日本のエネルギー安全保障の柱とするため、政府は事業者のリスクを軽減し、国内外からの健全な投資を呼び込むための、中長期的な視点に立った政策転換を急ぐべきです。
参考文献一覧
- TBS NEWS DIG. (2025年8月27日). 三菱商事の洋上風力発電事業撤退 中西社長が説明.
- Diamond Online. (2024年12月). 三菱商事が洋上風力事業で「巨額減損」の瀬戸際.
- 神山 智美. (2022年11月). 洋上風力に係る公共調達の仕組みに関する一考察 ―「公正・透明な入札」とは. 企業法学研究, 11(1), 56-57.
- Wind Journal. (2022年3月). 洋上風力第1ラウンドは価格の妥当性、事業実現性に課題。地域調整、産業化にも疑義あり.
- note (windfact). (2022年7月). 日本の風力発電コストがバカ高い理由6選.
- TBS NEWS DIG. (2025年8月27日). 武藤経産大臣「大変遺憾」 三菱商事の洋上風力発電事業撤退 中西社長が説明.
- Diamond Online. (2024年12月). 三菱商事が洋上風力事業で「巨額減損」の瀬戸際.
- 神山 智美. (2022年11月). 洋上風力に係る公共調達の仕組みに関する一考察 ―「公正・透明な入札」とは. 企業法学研究, 11(1), 56-57.
- Wind Journal. (2022年3月). 洋上風力第1ラウンドは価格の妥当性、事業実現性に課題。地域調整、産業化にも疑義あり.
- note (windfact). (2022年7月). 日本の風力発電コストがバカ高い理由6選.
- GEPR. (2025年4月). 迷走する洋上風力発電競争入札:毎回のルール変更で業界大混乱.
- nippon.com. (2025年9月11日). 三菱商事の洋上風力撤退を検証=再公募へ制度見直し―政府.

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